月報「流山」より
2019年8月 牧師 宗形和平
「神の子、イエス・キリストの福音のはじめ。」
マルコの福音書 1章1節
マルコの福音書は、上記のことばで始まっています。原文の語順に従って訳すと「初め、福音の、イエス・キリストの、神の子の」となり、創世記やヨハネの福音書冒頭のことばも思い浮かびます。
マルコは福音を伝えようとしています。では福音とは何でしょう。私たちはその意味を正しく理解しておく必要があります。福音(良い知らせ)という言葉の背景はイザヤ書40章9節以下にあります。それは「神である主は力をもって来られ、その御腕で統べ治める(イザヤ書40章10節)」ということで、神なる主が王となり、ご支配なさる、それこそが福音なのです(自分の福音理解と合っていたでしょうか)。
その福音は「イエス・キリストの福音」でした。これはイエス様の教えや数々の奇跡を指すのではありません。神の国、神様のご支配は、こう生きるべし、という教えを聞いた私たちが、それに従って生き、実行していくことで実現できるものではないからです。神の国は、イエス様が来られたことでいよいよ実現しようとしている、と宣言されています(1章15節)。神の国は、イエス・キリストの十字架の死と復活によって実現するのです。それゆえどの福音書もイエス・キリストの最後の一週間をその三分の一以上を費やして描いているのです。
福音を信じるとは、イエスこそがキリスト、神から遣わされた救い主だと信じること。このことをはっきりさせるためにマルコは最後に「神の子」ということばを加えています。これは神のように立派な人間だ、という意味ではありません。神が生みたもうた子、神と本質を同じくする、ご自身がまことの神であるお方という意味です。そのような神の子が私たちと同じ人間となってこの世に来られ、私たちの罪を全て負われ、十字架に死んで下さいました。そして父なる神様は、御子イエスを、死者の中から復活させることで、私たちを支配している罪と死の力に対する神様の勝利の実現と、神様の恵みのご支配がこの世に確立したことを明らかにされたのです。